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論文『古書にみる「目貫穴之次第」』


 近頃入手した江戸後期の古書に目釘孔についての記載があり、
他書に類例した内容があることを記憶しないのでこれまで
刀剣美術誌に所載された資料及び筆者が採拓した手元資料の
中から該当する事例と照合しつつこれを紹介したい。

本書は和綴に装丁されているが題箋は付いてない。著者は巻末に
元徳二年正月日 本阿弥女傳書 竹屋宗庵と記されており、
裏表紙には于時 文化三丙寅年正月吉日寫之とあるから筆写本と
判るが、元徳の元号(南北朝期)は本阿弥、竹屋それぞれの
活動時期からして信じられるものではなく恣意のまま時代を上げたか
好意的に見て元禄か正徳の誤写と思われる。

さらに「此書は数通の珎本をすくり」と後記にあって編輯に際しては
複数の書籍から引用を重ねている様子であるが、基本的な鑑定の
着眼点を手解きする傍らで剣相や陰陽五行に類する記述が混在し、
稀覯書(きこうしょ)と呼べるような史料的価値などは望むべくも無い。

然しその中にあっても「目貫穴之次第」と称する一節は未だ知れ
渡っていない目釘孔形の図解用語資料であるため冒頭の通り本稿にて
これを取り上げ、簡単な検証を進めるとともに若干の推考を展開したい。

まず図表1を御覧頂きたい。説明しやすく@からNまでの番号をつけ
多少の前後入れ替えをしてあるが原書から複写した目貫穴之次第の
一覧である。事例は整理の都合上(図 イ)から(図 レ)までを図表2
纏めたが順を追う毎に図表を往来する煩わしさはお許し願いたい。


始めに@フタツモミA及びBのミツモミであるが、これらは形状名
ではなく複数孔のある状態を指しており「二つ揉み」「三つ揉み」と
解することが出来る。従って孔が増えれば「ヨツモミ」「イツツモミ」と
称したものと推察されるが、この内のB三つ星形は稀であり(図 イ)の
ような事例が時代の上がるものに見られるばかりである。

次のCウリサ子以下は形状名であり、これは「瓜実」のことになろう。
図 ロ)がこれに相当するがありきたりのようで意外に多くは見かけない。

Dナスヒサ子は馴染みのない用語であるが「茄子実」と解すれば
ほぼ挿絵とも一致する。これは時代が上がる短刀に見掛けるが
図 ハ)のような美形?は左程多く見られない。

Eツゝミカ子は「包み金」と思われる。宝尽しの一種に「金袋」(図 ニ
と云う吉祥文があり挿絵の雰囲気はこれに類似する。
この上部が尖った形状は目釘緩みの矯正に孔の淵を鑽で寄せた
痕跡と云い(図 ホ)のような事例が古刀を中心に見られる。

Fクラホ子は馬具の鞍を構成する部分名「鞍骨」 のことと思われるが
見立て名に使われるほど身近な対象であったかは定かでなく、
挿絵からもそれと連想するのは難しい。あるいは小道具の題材として
取り上げられることの多い「クヲホ子(河骨)」を誤写した可能性もあるが、
これとても陰透かしで理解できるような特徴ある輪郭が知られている
訳ではない。従って何れとも決し難く挿絵のみを頼りにするならば
図 ヘ)になろうか。

Gヒヤウタンは挿絵からも紛れ無く「瓢箪」と知ることができる。これは
新古長短を問わず多くの刀に見られる(図 ト)。

Hヨミトリは鍔であれば十字木瓜となるが古語集、伝統文様集等には
該当する語彙が見つからない。かなり大胆な形状であり隠れ切支丹との
誤解を恐れてか類似する事例も見当たらない。

Iスハマカタは挿絵通り「洲浜形」と解かる。これも古刀期の幅広短刀に
見掛ける(図 チ)。

J小マスカタK大マスカタは「枡形」である。大小の区別は明記されて
いないが一辺長が円孔の直径と同じまでを小とするならば(図 リ)、
それ以上を大と称するならば(図 ヌ)があり、このような形状は一段と
時代の上がる古刀に見受けられる。今日四角形の目釘を目にする
ことは無く、春日大社の菱作打刀拵などに若干の作例があると仄聞
するばかりだが、目貫が目釘頭の装飾あるいは目貫の根が目釘を
兼ねていた頃は目貫の回転を防ぐ効果があったであろう。因みに
本来釘(和釘)とは断面が四角形のものであり本題の如く目貫穴では
なくて目釘穴と称するならば円孔は之に能はず、用語の意義が不正確に
流布されていると思うのは僻目であろうか。

L イノメは太刀鍔の透かし定番「猪の目」である。これも数ありそうで
大方は一つ酢漿草(かたばみ)風に尖りが無いか谷間が広がるなどして
完全な形状のものは意外に少なく、強いて例を挙げるならば(図 ル)が
近似する。

M Nのハンケツは「半月」と解釈したいがMは三日月でありNは勾玉巴
(まがたまどもえ)のような挿絵である。これら二つには先端が鋭く尖る
不自然さが見られ、殊にMはその隙間に目釘を入れたとすれば異様に
遊びのある状態となり、一名称で二態の形状が紹介してあることも不審
である。これらから開孔の形状と云うよりは非鉄金属を嵌めて孔の緩みを
調整した責金の様子とも捉えられ、然様であればハンケツの表記も
当て字ながら「畔欠」のほうが相応しく思うが(図 ヲ)のように折返し銘や
額銘を施した際に文字通り半月となった旧孔跡の事例もあるため徒な
推論は差し控えたい。尚、Nに相当する責金の事例には(図 ワ)がある。


以上紹介した目釘孔は全て必要に応じて穿たれた結果であり意識して
形作った意匠ではない。然しこれらに斯様な呼称があることは生ぶ孔
以外の余分な穿孔を刀剣の(特に新刀期以降の刀において)評価を
下げるだけの欠点と捉えている現代とは異なり、甲冑師鍔や刀匠鍔の
簡素な小透しを賞玩するが如く、鷹揚で而も風雅な心境でもって先人達が
受け止めていた証左ではないだろうか。

そうした観点から新刀期以降に見られる変り穴の内、それまでの偶然形
とは趣を異とする穿孔について、これを作意の表れとして次に取り上げ
たい。

一般的な通念として江戸鍛冶は大坂鍛冶のように派手な化粧鑢や
丸文字のような刻銘、異形の茎形などといった技巧に走ることには
加担せず、いたって堅調であると思われているが暗に相違して興里に
ついては少なからずの変り孔、所謂化粧孔が見受けられる。

その中でも代表的なものに坩(つぼ)孔(図 カ)と称されているものがあるが、
必ず一・二個の円孔を伴っているために後穿と早計されかねない。

これを知った当初はこの形状が自身名にちなんだ虎の顔ではないかとも
気を回したが大半は頭頂と耳がほぼ一直線であり坩孔の呼称は当を得て
いると思う。尚、この矢筈形をした切欠は元来責金を嵌めるためにあると云う。

次の(図 ヨ)は俗に云う花丸であるが、本来はツゝミカ子同様孔の淵を
鑽で寄せた形状と云い、これには花弁数に種類があって菊孔或いは
桜孔と称されている。これも単独孔ではないために後穿かと素見してしまうが
やはり刀工自身の作意とされている。
また蓋付物を連想させる(図 タ)及び(図 レ)は傾きの角度にこそ違いが
あるものの明らかに同じ図柄であり創意の跡が窺われる。

興里の変り孔は今更本稿で紹介するまでも無く既に周知されていることで
あるが、これらは刀工自らによる穿孔でありながら忍孔の様な機能上の
必然性が明確ではない。とは云えこれを装飾の類と捉えてしまうには様々な
御異見もあることと思うが、或る時期好事家の間で目釘孔形も見どころと
されていたとの思量を巡らせる中で需めに応じた事例ではないかと推察する
次第である。


最後にこれまで経眼した資料の中から興味深い形状のものを「その他の変り孔
として取り上げてみた。これらも偶然の景色ながら刀剣鑑賞に新たな趣向が
広がれば楽しいのではと見立て名を付けてみたが本誌の格調に相応しくない
表現があればお許し願いたい。

尚、原書の一部解読には岡崎市美術博物館学芸班班長 堀江 登志実氏の
ご指導を受けました。本誌面を借りて御礼申し上げます。

参考図書  増補改訂乕徹大鏨 財団法人日本美術刀剣保存協会
        名刀図鑑     藤代 松雄


岐阜県支部 近藤 邦治