「美濃鍛冶小論」

5−1  美濃は日本列島の「首根っ子」


 つい最近までの事、全国各地に繁栄をみた産業には、漆器産業の気候、陶磁器
産業の土、燃料等にみられるように、地域環境の条件と製品搬出条件の可否が
大きな要素であり、流通手段の未発達な室町時代までは特にこの傾向が強く、
産業発展の背景には必ずこのような条件が整う事が必要な事でした。

 兵庫県宍粟郡千種の地に、「たたら」業者の言葉として「砂鉄七里に炭三里」と
言われた事などは、これらのことをよく物語っています。

 このような事は、美濃鍛冶集団においても例外ではありませんでしたで
しょうが、美濃鍛冶集団の歴史を考えてみると、多くの疑問点が残されている
のが現状です。が、前記のように、美濃の土地柄が彼らの繁栄の条件の一つで
あった事が考えられます事から、ここで美濃国を改めて見直してみたいと思い
ます。

 美濃国は、日本列島を東西に抜ける平地通路の唯一の通り路であり、古くより
戦略上の最重要拠点とされ、歴史上にたびたび登場する地域で、揖斐、長良、
木曽の三大河川が伊勢湾に流出する河口部の西部地域(西濃地方)、長良川
中流域の中部地域(中濃地方)、木曽川中流域の東部(東濃地方)から成り、
周囲を飛騨、信濃、三河、尾張、伊勢、近江、越前の各国に取り囲まれた日本
列島の「首根っ子」にあたる部分に在ります。

 このような土地柄に、武器産業が発生する事は当然の事で、鎌倉末期より
南北朝時代に、赤坂、直江を中心とする西濃地方において美濃鍛冶の基盤が
形成されました。

 次の時代の室町時代に入ると、美濃鍛冶の中心が、内陸の「関(せき)」の
地に移動を始め、室町末期この地において、一大刀剣王国を形成する事となり
ます。