日本刀匠総帥「渡邊兼永翁」


渡邊兼永翁顕彰碑建立50周年記念

 翁顕彰碑が建立されてから早くも50年の月日が流れました。
 今日、翁の愛弟子は兼成・後藤良三氏ただ一人となってしまいました。
 今や孫弟子たちが関刀剣界の中心となり、ひ孫弟子に当たる人たちも
活躍する頃となり時代は大きく変わりました。

 昭和34年9月24日一つ山公園に於いて翁の頌徳碑の除幕式と同時に
日本刀鍛錬場の竣工式が盛大に行われました。その時の様子を、地元の
「中濃新聞昭和34年9月27日号」よりピックアップしてみます。

 「亀山市長・後藤県議・藤井市会議長・渡邊商工会議所会頭はじめ
刃物業者ら多数参列のうちに午前九時半、先ず顕彰碑の除幕式が仏式
で行われた。山田義之氏の開式の辞に始まり、兼永翁の長男総一氏に
手をひかれて翁の曽孫敬子さん(五)の手で満場拍手のうちに碑をつつむ
白幕がのぞかれた。
碑面には一条実孝氏の書による“日本刀匠総帥 渡邊兼永翁之碑”の
文字があざやかに刻まれている。 関鍛冶中興の祖とあがめられる
翁の遺徳は中村丈夫氏の文で碑陰に刻まれており永久に伝えられる
ものとなった。

 竹森和一氏の碑文朗読、読経についで役員、来賓遺族らの焼香、
遠藤斎治朗会長の式辞、亀山市長の弔文、施主代表山田長蔵氏、
遺族代表渡邊そう一氏の謝辞があって式を閉じた。」とあります。
このあと神式による鍛錬場の開場式にうつり、「山田義之氏の開式の
辞・修祓・祈祷・玉串奉奠、遠藤会長式辞、亀山市長祝辞があって、
注連縄に清められた場内で藤原兼房、小島兼道、中田兼秀師ら
現代刀匠により火入れ、打ち初めの式が関鍛冶七百年の歴史を今に
伝えて厳かに行われた。」と、詳しく記載されておりました。

 兼永翁は本名を萬次郎と呼び、加茂郡米田村の篤農家佐々木家の
二男として明治五年正月一日に生まれた。 十一歳の時に刀鍛冶に
なることを志した。 子に甘い父は自宅に鍛冶場を作り、関から鍛冶職の
平九郎右衛門という人を雇い入れ鍛冶を始めた。 だが萬次郎少年は
これを満足とせず、十六歳の時、関・常盤町で鍛冶を営んでいた
渡邊兼綱の門人となった。 人柄は良く腕も立つところから兼綱は
萬次郎青年に大きな期待を寄せるようになった。

 二十六歳の時、見込まれて長女マサさんの婿に迎えられた。 そして
刀匠名を渡邊兼永と打つこととなった。 翁はその後明治30年から
関鍛冶・明治の巨匠といわれた真勢子兼吉(小坂金兵衛)の門人となり、
なお鍛冶の道の研鑽にはげんだ。 また翁は修養の道を茶道と華道に
求め茶道は表千家、華道は松月流を学び師範となり大正年間には
多数の弟子を抱えこの道でも名匠とうたわれた。

 翁は温厚で誠実で親切な性格の持ち主だった。 鍛冶の道でも茶華道に
おいても誇らしげな素振りは見せず、それだけに人々の信頼は厚かった。
当代には珍しい仕事の鬼であり、偉大な文化人でもあり、関伝鍛法の
保存に生き研究に打ち込んだ人であった。

 翁は七百年の伝統と歴史に輝く関鍛冶の流れを後世に伝えることに
努力した人だった。
 美濃刀匠擁護会が後藤治兵衛氏を会長に兼村虎之助・山田長蔵・福田
好司・吉田亨三郎・河田新次・小坂利雄・遠藤斎治朗・椎名威の諸氏を
中心に結成され、そして日本刀鍛錬塾が設立されたのが昭和12年4月
だった。 兼永翁はその塾長になり多くの塾生を養成したのである。
翁の作刀は今様志津と云われたほどで実に名作が多かった。 また日本
刀匠協会審査顧問で昭和十四年に「国工」の号を受け日本刀匠総帥
として当代の第一人者となった。

 翁並びに一門の主なる活動を下記に列記すると・・・。

1.昭和11年:岐阜市において躍進日本博覧会の会期中に古式鍛錬の
  実演と即売会を行なう。

2.昭和11年5月:ドイツ国・アドルフ・ヒットラー閣下に兼永翁謹作の
  太刀(長さ:2尺3寸5分、刃文:三本杉)を贈呈

3.昭和12年8月5日:閑院宮殿下が鍛錬塾に御台覧。

4.昭和13年9月3日:ドイツ国ヒットラーユーゲント一行が鍛錬塾を視察。
  記念に短刀を贈呈。

5.昭和14年5月15日:朝香宮中将殿下が来塾され、記念に御守護用
  短刀を献上。

6.昭和14年6月:シャム国皇帝に太刀(長さ:2尺5寸、刃文:丁子)を
  贈呈。

7.昭和14年6月24日:蒙古徳王閣下に陸軍大臣・板垣閣下より太刀を
  贈呈。

8.このほか同年から戦中にかけては後鳥羽天皇七百年祭に当り水無瀬
  神社に奉仕。
  イタリー国ムッソリーニ首相に日本刀を贈呈。
  三笠宮殿下並びに各宮殿下に献上。 また各神社に奉納し陸海将星
  及び各界名士に贈る。 等々枚挙にいとわない。

 昭和21年12月20日病により明治・大正・昭和と三代にわたり関を
中心に日本の刀剣界の発展のために計り知れない功績を残し全力を
注いだ翁は74歳にて永眠。