当支部会員参加による行事日程

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 古式日本刀鍛錬 一般公開
 刀匠、研師、柄巻師、鞘師、白銀師の実演
 会場・関鍛冶伝承館
 1月2日、2,3,4,5,6,7,8,9,11,12月の第1日曜日
 10月は、関市「刃物まつり期間」に開催
 ※現在新型コロナウイルス対策の為、休止中です。


令和2年度「支部活動」日程

支部活動 期   日 会   場
 回定例研究会・総会
 ※新型コロナウイルス対策の為開催自粛
 令和2年 5月30日(土)   関市文化会館
 第2回定例研究会
 令和2年 7月12日(日)   岐阜市南部コミュニティーセンター
 回定例研究会  令和2年 9月13日(日)   関市文化会館
 回定例研究会  令和2年 11月15日(日)   岐阜市南部コミュニティーセンター
 回定例研究会・懇親会  令和3年 1月16日(土)   ホテルグランヴェール岐山
 6回定例研究会  令和3年 3月27日(土)   岐阜市南部コミュニティーセンター

※ 研究会に一般参加・見学を希望される方は事前に、住所・電話番号・氏名・年齢・職業を記してお申込み下さい。

申込先 : 〒500-8258 岐阜市西川手四丁目20番 日本美術刀剣保存協会岐阜県支部 
      e-mail houji@pg8.so-net.ne.jp
(当日の飛び入り参加、および反社会的団体に関係する方は固くお断りいたします。)

尚、参加会費は 1,000円/1回 を申し受けます。


 第3回定例研究会

 
令和2年9月13日(日)関市文化会館にて、日本美術刀剣保存協会富山支部事務局、山誠二郎氏に講師を務めていただき、第3回定例研究会を開催いたしました。

 1号刀 短刀 銘 表 備前國長(以下切れ)(真長) 裏 徳治三年(以下切れ) 第三十七回重要刀剣

 姿は平造り、庵棟、身幅尋常、重ね厚く、寸延びる。彫刻は表に梵字と三鈷付剣、裏は梵字と腰元に太樋と細樋を掻き流す。
 地鉄は板目肌、地沸つき、地景入り、淡く映り立つ。刃文は小湾れに互の目交じり、総じてこずみ、匂勝ちとなり、ややうるむ。帽子は直ぐごころ、小丸に浅く返る。
 茎は磨り上げ、先浅い栗尻、鑢目筋違、目釘孔二、指表下半中央に四字銘、裏に同じく年記があり、表裏とも途中で切れる。

 本作磨り上げられ銘文が途中で切れているが、深く筋違いとなる鑢目、書体から鑑みて、真長であることに疑いなく、小湾れに互の目が交じり、総じてこずむ作風には、
 真長の特徴がよく示されている。現存する真長の作例中、短刀は稀有であり、徳治三年の年期と共に資料として貴重である。
 本作の彫刻をみていただくと、三鈷付剣の持ち手のところが丸く彫られています。これは備前刀にみられる彫刻の特徴ですので覚えていただきたいと思います。

 2号刀 脇指 銘 表 津田越前守助廣 裏 寛文十二年八月日 第五十五回重要刀剣

 姿は鎬造り、庵棟、棟の卸しやや急、身幅広く、元先に幅差あまり目立たず、鎬低く、重ね厚め、踏ん張りごころがあり、反り浅めにつき、中切先。
 地鉄は小板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、鉄冴える。
 刃文は直に焼出し、その上は大互の目乱れ、互の目、小湾れを交え濤瀾風、足太くよく入り、匂深く、沸厚くつき、総体に細かな砂流しかかり、金筋随所に入り、
 玉状の飛焼かかり、淡く棟を焼き、匂口明るく冴える。帽子は焼深く、直に小丸に返り、先細かに掃き掛ける。
 茎は生ぶ、先入山形、化粧鑢(香包鑢)、目釘孔一、指表目釘孔下の棟寄りにやや太鏨で大振りな七字銘、裏は目釘孔より半字上げて同じく草書の年期がある。

 銘字が角ばったいわゆる角津田といわれるころの作で、もう少し後になると丸津田といわれる丸い銘字に変わります。
 濤瀾刃で名高い助廣ですが、濤欄刃の完成は延宝四年(1676年)ころといわれています。本作は寛文十二年(1672)の年期があり、その頃より少し前の作となります。
 濤欄刃は立ち上がるところが緩やかなものと、急なものが交じっているもののことで、そうでなければ大互の目乱れと呼んで区別しています。
 本作の刃文をみますと元の方に少し緩やかな刃が交じっていますので、全体的に濤欄刃とはいえないですが、濤欄刃の風合いが出てきています。
 他にも玉を焼き華やかであり、匂も叢なくつき、焼き出しがみられ、帽子も綺麗な小丸に返り、地鉄がよく詰み非常に美しいことなどを考えると、大坂新刀の上工とみれると思います。
 
 3号刀
 脇指 銘 表 津田近江守助直 裏 貞享三年八月日 第十二回重要刀剣

 姿は鎬造り、庵棟、身幅広く、元先に幅差あまり目立たず、重ね厚め、踏ん張りごころがあり、反り浅めにつき、中切先。
 地鉄は小板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、鉄冴える。
 刃文は直に焼出し、その上は大互の目乱れ、互の目、小湾れを交え濤瀾風、足太くよく入り、匂深く、沸厚くつき、総体に細かな砂流しかかり、匂口明るく冴える。
 帽子は焼深く、直に小丸に返り、先細かに掃き掛ける。
 茎は生ぶ、先入山形、化粧鑢(香包鑢)、目釘孔一、指表目釘孔下の棟寄りにやや太鏨で七字銘、裏は目釘孔より半字上げて同じく草書の年期がある。
 
 本作は二号刀と比較しても遜色のない、非常に良く出来た助直です。助直は近江国の高木出身で、越前守助廣に作刀を学び、後に妹婿か娘婿になったと伝わる。
 修行の後は生国に帰ったのか、延宝年期の作は「高木住」と切った作が多い。天保二年、越前守助廣の死後は大坂の鎗屋町に住し、元禄六年期の作がある。

 4号刀
 脇指 銘 表 長曽祢興里入道乕徹 裏 (金象嵌銘)寛文五年十二月十六日 山野加右衞門六十八歳永久(華押) 两車截断 第四十五回重要刀剣

 姿は鎬造り、庵棟、身幅尋常、元先に幅差つき、重ね厚め、反りやや深めにつき、踏ん張りごころがあり、中切先つまる。
 地鉄は板目肌に杢交じり、肌立ちごころ、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、鉄冴える。
 刃文は中直刃、僅かに浅く湾れ風、匂深く、小沸厚くつき、小さく砂流し入り、匂口明るく冴える。帽子は直に小丸、やや深く返り、先掃き掛ける。
 茎は生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一、指表の目釘孔に「長」の字をかけて、鎬筋を中心に細鏨の長銘があり、裏に三行にわたって山野加右衛門永久の金象嵌截断銘がある。

 本作は「虎」の字を「乕」と切った、角虎・ハコ虎といわれる作です。
 長曽祢興里といえば初期は瓢箪刃、後期は数珠刃が有名ですが、本作は興里としては比較的珍しい直刃ですので、入札鑑定としては難物であったと思います。
 興里がこの種の作柄を手掛けた場合、匂口が締まりごころとなるのが通例ですが、この作はそれと相違して匂深で、小沸が叢なく厚くついています。
 珍品ですが、こういった作もあると覚えていただきたく思います。
 なお刀剣美術の五一七号の誌上鑑定に本作と同時期の金象嵌銘があり、直刃出来のよく似た興里の刀が出題されております。

 5号刀
 脇指 銘 表 正秀(華押) 裏 寛政四年八月日

 姿は鎬造り、庵棟、身幅尋常、元先に幅やや開き、重ね厚め、反りやや深めにつき、踏ん張りごころがあり、中切先で、平肉が乏しい。
 地鉄は板目肌に杢交じり、肌立ちごころとなり、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入る。
 刃文は広直刃に浅く湾れ、沸・匂深く、荒沸つき、喰違い刃に湯走り状の刃交じり、匂口に広狭があり、金筋・砂流しかかる。帽子は直に丸く返る。
 茎は生ぶ、先刃上がり栗尻、化粧鑢、目釘孔一、指表目釘孔にかけて二字銘と華押、裏は目釘孔より上げて年期がある。

 本作は水心子正秀の脇指でした。水心子正秀は晩年には復古刀論を唱え、専ら備前伝に取り組んでいますが、それまでは主に大坂新刀の写し物を作刀しています。
 また大坂新刀写しの作は出来が優れ、中でも寛政・享和ごろの作はその最盛期にあたります。
 本作も入札鑑定としては難物で、井上真改や南紀重國といった札がありましたが、そうみられるのも無理はないと思います。
 ですがそれらの刀工と相違するところを挙げるとすれば、本作は僅ですが平肉が乏しいところ、中ほどに地にこぼれる様な荒沸がつくところ、
 そして井上真改や南紀重國であればもう少し匂が深くなるところかと思います。
 

 第2回定例研究会

 令和2年7月12日(日)岐阜市南部コミュニティーセンターにて、当支部支部長、近藤邦治氏に講師を務めていただき、第2回定例研究会を開催いたしました。

 1号刀 脇指 銘 表 紀州明光山文殊九郎三郎重國 元和七年二月日 裏 應松平志摩守重成公命 (重要美術品指定)

      鎬造り、庵棟、元先の幅差が目立たず、刀をそのまま短くしたような姿、鎬やや高く、平肉つく。地鉄は小板目よく詰み、明るく冴え、底に地景が沈む。
      刃文は小沸出来の浅い湾れと直刃を基調に、節刃を交え、表裏とも物打ち下で喰い違う。帽子は湾れ込んで先小丸に短く返る。
      茎は生ぶ、刃方棟方とも角、先浅い栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔がやや大きい。

      南紀重國の作風には相州伝と大和伝の二通りがあるが、本作は大和伝を基にしており、脇指ながら重要美術品に唯一指定された名刀である。
      重國は駿府で徳川家康に仕えていたが、家康没後は十男頼宣の抱え工となり、元和五年に頼宣が紀州へ転封になると、これに付き従っている。
      本作は転封後初の年紀作であり、注文主の松平志摩守重成は、ともに家康のもとで仕えていた大身旗本であった。
      なお和歌山に明光山という地名はなく、和歌浦の旧名を明光浦といったので和歌山の当て字と思われる。
      入札には肥前の忠吉の札も見受けられた。
      確かに忠吉には大和物を狙った作があり、地鉄も小沸が深々とつくものがあるが、これほどに冴え冴えとした明るい地刃は見かけない。

      
 2号刀
 短刀 銘 来國光 (水戸徳川家伝来)

      姿は平造り、真棟、身幅やや広く、重ね薄め、彫りは表裏とも香箸を掻き流す。
      地鉄は小板目詰み、僅かに肌立ちを交え、地沸つき、沸映り立つ。刃文は中直刃、小沸よくつき、細やかに金筋かかる。帽子は直ぐに先小丸。
      茎は生ぶ、先栗尻、鑢目切。

      大振りで重ねが薄く、反りのない姿から鎌倉末期乃至南北朝初期の作とみられる。
      沸映りが立ち、やや荒れごころの交じる地鉄と、刃中の中ほどに金筋が集中し、京逆足がみられる点から来派と捉えられる。
      来國光と絞り込む特徴は物打ち辺りの刃幅が狭くなる点であり、直刃出来であるということから来國次の札は余程の確信がない限り避けるべき。


 3号刀
 太刀 銘 濃州正光 『室町時代美濃刀工の研究』所載

      姿は鎬造り、重ね厚く、やや低い庵棟、腰反り深く、先にも反りつき、小切先、平肉つく。表裏ともに両チリの棒樋を掻き通す。
      地鉄は小板目に小杢目を交えて詰み、淡い乱れ映りが立つ。刃文は直刃に箱がかった節刃を間遠に繰り返し、処々小沸つき、鼠足とささやかな金筋、葉がかかる。
      帽子は表弛みごころに先掃き掛け、短く返り、裏は焼き詰めて、沸筋が地に絡む。
      茎は生ぶ、表は茎尻の面を取り、刃上がり栗尻、裏は入山形、刃方面取り、棟方中肉、鑢目勝手下り。

      小切先の太刀姿であるが、物打ちが張っており踏ん張りの弱いところから室町時代前期作と捉えられる。
      本作は表裏揃った節刃を盛んに焼いているが、節刃は美濃物に限ったものではないものの、
      美濃物の特徴とされている。そうした中で室町時代前期となると善定兼吉辺りに限られてくる。
      正光は京都達摩派の鍛冶であるが、正長頃に蜂屋庄へ移り住んだといい蜂屋関、別名蜂屋達摩の始祖となった。
      達摩派の名称は、始祖の正宗が達摩入道正宗と名乗ったことに由来するというが、禅門の高僧と同じ名を入道名としたとは到底考えられず、五郎入道正宗の韻を踏んで       いると考える。したがって通説にいう綾小路住ではなく、『校正古刀銘盡』の京都達磨住人説が謂れの基と思われる。
      本工は現存数が殆どなく、個銘を当てるのは難しいので室町時代前期の美濃刀とみていただければ十分。

 4号刀
 寸延短刀 銘 康光 『刀剣美術610号』所載

      平造り、庵棟、重ね厚く、大きく寸伸びてフクラやや枯れる。
      彫りは表裏とも刀樋を掻き通す。
      地鉄は板目に杢目を交えて処々流れ、やや肌立って地沸つき、地景かかり、棒映りが立つ。
      刃文は直刃に湾れごころがあり、刃縁小沸つき、鼠足、逆足が入る。帽子は直ぐに先突き上げごころとなり、やや深く返り、裏の返りは寄る。
      茎は生ぶ、先栗尻、刃方棟方とも角、鑢目勝手下り。

      大きく寸伸びて、重ねの厚い姿から応永頃の作であると捉えられる。地鉄には応永備前の特徴といわれる応永杢が見られ、棒映りも鮮明に立っている。
      棒映りは景光や兼光にも見られるが、これらはどこかに刃文の頭から匂いが尖って映りに繋がっていく風がある。しかし本作にそうした景色は見受けられず、僅かに段映り      のような箇所があり、刃中には逆足が交じって青江気質を帯びている。そういったところから応永備前の中でも素直に康光と見ることができる標本的な作である。


 5号刀
 刀 銘 表 濃州関住人兼綱作 裏(金象嵌銘) 慶安元戊子年三月十日貮ツ胴切落 山野加右衛門永久 華押 

      鎬造り、やや低めの庵棟、鎬幅広く、鎬高く、平肉つく。
      地鉄は板目、棟寄り鎬地は大板目が肌立ち、刃寄りは流れ柾となって詰み、乱れ風に映り立つ。
      刃文は直刃を基調に節刃を交え、刃縁にほつれごころがある。帽子は表が地蔵、裏は中丸、先に小節がつき、僅かに沸づいて掃き掛け気味。
      茎は生ぶながら若干区を送り、先刃上がり栗尻、茎棟中肉、刃方面取り、鑢目鷹羽、棟鑢は筋違い。

      鎬幅広く、鎬が高いのは大和ものの特徴であるが、太刀姿ではなく打刀姿であるので美濃ものと見て頂きたい。これが末手掻であれば鎺元辺りの鎬幅は広くても、先へいく      とそれ程でもない傾向があり、先反りも目立たない。
      本作も直刃を基調としているが、節刃を焼いているので末関と捉えるのは容易であり、一段と技量の高いところから、素直に兼㝎と見ていただきたい。
      なお本作は兼綱と刻銘されているが、銘振りは文亀から永正にかけての兼㝎と同じであり、同工の代作代銘と考えられる作である。
      入札は善定兼吉の札が目立ったが、兼吉なら太刀姿のはずであり帽子も善定帽子とは異なっている。
      なお本刀には金象嵌の切落銘があるが、製作されてからずいぶん時代を経て試されている稀有な例である。
      ちなみに截断を「さいだん」と読むのは誤りである。武器を意味する斧旁と、死者の魂を冥界に連れ去る凶鳥のふるとり(隹)を組み合わせた文字には斬罪の意味が籠めら      れおり、「せつだん」と読むのが正しい。
      また截断と混同される裁断(さいだん)は布裂を裁ち切るから衣編がついているのであり、全くの別字である。


なおこの日、徳川四天王本多平八郎忠勝の末裔である本多葵美子さんの特別参加があり、徳川家康と紀州、水戸両徳川家にゆかりある名刀を熱心にご覧になられました。



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